概要
社名 | 堀内洋服店 |
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設立 | 創業 1895(明治28)年 |
所在地 |
〒542-0085 大阪市中央区心斎橋筋1-5-12 心斎橋THビル5F |
営業時間 | 11:00~19:00 (定休日:水・木・土・日曜日)
※新型コロナウイルス感染拡大防止と安全・安心の確保を考慮し、当面の間の営業時間を11:00~17:00といたします。 |
代表者 | 堀内 愼三(4代目店主) |
事業内容 | 注文紳士服製造・販売 |
堀内洋服店の歴史
初代店主である堀内善吉が、文明開化から幾ばくもない1985年(明治28年)に大阪の地にて紳士服店を開業しました。
この頃は洋服店もまだ少なく、善吉の店は発展しました。
勉強のために店を一度たたみ、アメリカ西海岸のシアトルへ渡米しました。渡米当時はその裁縫技術を活かし、露天の洋服修理で生計を立てました。
渡米から約3年、シアトル市マディソン街に店を構えるまで発展しました。
以後順調に稼業は発展し、1年後には従業員6人を数えています。
初代店主の善吉は、店主として現地にとけ込むべく通称もジョー・ホリウチとしていたと言います。
いよいよ渡米の目的である洋服の勉強を叶えるため、初代店主の善吉は店を妻にゆだねて、単身ニューヨークに向かい勉学に励みました。
その結果、1907年にニューヨーク・カッティングスクールを卒業し、翌1908年にアメリカン・ファッション・カッティングアンドデザインスクールを卒業いたしました。
西海岸へ帰った初代店主の善吉は、当時シアトルより大都会であったロサンゼルスに店を移しました。
営業をしながら帰国後の開店資金を積み立て、日本の弟に送金していました。
サンフランシスコ大地震の際、初代店主である善吉夫妻も荷物を担いで逃げたそうです。このとき善吉自らの家財は捨て置き、客の洋服を持って避難したと言います。
地震が収まったので店まで戻ると、元あったビルは隣の敷地まで移動していたそうです。
数日後、新聞広告にて『お客様の洋服は無事に保管してある』と掲載すると、当時着の身着のまま避難していた顧客は大喜びだったと言います。
地元の新聞も「日本人は、非常に律儀である」と報道し、面目を施しました。
店舗が壊れたことと、日本へも十分な送金をしていることからいよいよ帰国することになりましたが、
二人の子供を預けている善吉の弟が開店資金をべて使い込んでいたため、善吉夫婦は預けていた2人の子供を引き取り3人になった娘を育てながら改めて訪問販売の洋服屋を始めたのです。
努力の甲斐あり、帰国から?年後に大阪市西区に堀内洋服店を再開する事が叶いました。 以降、アメリカ帰りの洋服屋という評判も手伝って順調に発展を重ね、大正期には関西著名人の方々の洋服を承ってきました。
第二次世界大戦での休業後、あらためて洋服店を起こし生野店、あみだ池店と店を発展させました。
長らく親しまれてきた堀内洋服店の店舗ビルを建て替え、『THビル』と改名いたしました。